藤森製材所の人々

藤森秀典(FUJIMORI Hide'nori)

 

藤森製材所の代表者です。

棟梁として現場での施工、工事管理や製材など、藤森製材所の業務の全般を行ないます。 

左の写真では、白鳥邸(2018年)の土台の墨付けを行っています。


諏訪大社・御柱祭

 藤森製材所は、幾代にもわたり、諏訪大社の御柱祭へ奉仕してまいりました。

 諏訪大社上社の地区で、「宮川・ちの」または「ちの・宮川」です。当番幹事の地区を先に言うことにしています。上社の8地区のなかで、最も氏子が多く、威勢の良い地区です。

 藤森秀典は、平成28年(2016年・前四)斧取りとして奉仕しました。

 藤森千正(先代)も永年、斧取りとして奉仕しましたが、平成10年(1998年・本一)、平成4年(1992年・前三)は、2回にわたり、斧取り長(斧長)として御柱の曳行や木造りを行いました。そして、建て方として建て御柱を管理し、建て御柱を行うための車知(しゃち)を提供いたしました。

 また、毎回、田沢区の綱打ちへも積極的に協力しています。

 その後も、建て御柱の車知は、藤森製材所で管理し、田沢区の有志によって運用され続けています。

 

御柱祭リンク

信濃毎日新聞社 御柱祭の予定、由来、記事などが詳しく載っています。

 

宮川・ちの地区 曳行した御柱
元号 西暦 御柱(上社は、毎回、抽籤式により担当する柱を決めます。)
令和4年 2022年 本宮三
平成28年 2016年 前宮四
平成22年 2010年 本宮三
平成16年 2004年 本宮四 → 下記、レポートもご覧下さい。
平成10年 1998年 本宮一
平成4年 1992年 前宮三
昭和61年 1986年 本宮一
昭和55年 1980年 前宮四
昭和49年 1974年 前宮三
昭和43年 1968年 本宮一
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甲申年 御柱祭レポート 平成16年(2004年)

 

諏訪大社上社 山出し  4月2日(金)、3日(土)、4日(日)

 私ども、ちの・宮川地区が担当したのは、本宮四の御柱です。特に、4日(日)は、前日までのうららかな天候と打って変わり、雪降りすさむ中での木落し、川越しとなりました。しかしながら、沢山の氏子の尽力と気迫で曳行いたしました。

 今回も、藤森千正は、斧取り(よきどり)相談役として、木造りや曳行の管理指導で奉仕しました。また、藤森秀典は、田沢区の若者として、綱打ちなどの準備に協力し、曳行を助けたりしました。そして、木落しではめど梃子に乗せていただき、無事に下らせていただきました。

 

諏訪大社上社 里曳き  5月2日(日)、3日(月)、4日(火)

 建て御柱が、御柱祭のフィナーレです。当日4日(火)は、時折、小雨が降る天気となりましたが、沢山の氏子が見守るなか、本宮四は、時間を早めて冠落しを執り行いました。

 藤森千正と藤森秀典は、ともに、建て方として奉仕しました。

 藤森千正は、自ら、斧(よき)をふるって、冠落しの指導をしました。また、車知(しゃち)や滑車をはじめとした道具も提供し、建て御柱の監督をしました。

 藤森秀典は、田沢区若者としての準備や作業はもとより、建て御柱で御柱に乗せていただきました。最後まで乗り、そして、無事に降りてくることができました。関係者皆様のご尽力の賜物だと思っております。ありがとうございました。

 御柱祭は、当日の行事だけではなく、準備や片付けまで、多くの手間と時間がかかります。しかし、これだけ盛大に永く続いているのは、氏子の皆様をはじめとする各地区や諏訪地域の人々の団結と、互いの協力に拠る所が大きいのでしょう。

 来週末には、諏訪大社下社の里曳きが行われます。そして、秋にかけて、各地区の小宮の御柱祭や各家の氏神の御柱祭も行われます。

 皆様も、機会がありましたら、是非、「七年に一度」の諏訪大社御柱祭をご覧になってください。

2004/05/06 藤森伝一


藤森千正(FUJIMORI Chimasa)

 

藤森製材所の先代(故人)です。

左は両角作郎氏(両角邸施主)、右が藤森千正です。

家を造ることや御柱祭について話し合っています。

2010年御柱祭の里引きで両角邸にて撮影しました。